2013年4月12日金曜日

福島原発事故から9ヶ月後に日本で出生率減少


福島原発事故から9ヶ月後に
日本で出生率減少
Rückgang der Geburten in Japan
9 Monate nach Fukushima
放射線テレックス2013年2月号 アルフレット・ケルプライン著(Alfred Körblein)
本文はこちら: http://www.strahlentelex.de/Stx_13_628-629_S02-03.pdf

2011年12月、福島の原子炉事故から9ヵ月後、日本では2006年から2011年の間の傾向と比較し、日本全体で4.7%(p=0.007)、福島県では15%(p=0.0001)という著しい出生率の後退が起きている。同じような事態がヨーロッパ諸国でもチェルノブイリ事故から9ヵ月後の1987年2月に起きた。出生率の減少は1ヶ月に限られていることから、突然の流産が相次いだと考えられる。そしてこれが放射線被ばくによるものであることは、ほぼ明らかである。

背景
日本における乳児死亡率の月ごとのデータを評価した結果、福島原子炉事故の9ヵ月後にあたる2011年12月の出生率は著しく減少していることがわかった(2012年12月号の放射線テレックスを参照 [1]  http://donpuchi.blogspot.de/2012/12/12_19.html)。ここで筆者は、同じような出生率の低下がチェルノブイリ事故の9ヵ月後にバイエルン州でも認められたことを指摘した。

1987年2月のバイエルン州での出生率後退が偶然によるものである可能性を排除するため、筆者は、チェルノブイリのフォールアウトを受けたその他のヨーロッパ諸国の月ごとの出生率データを評価した。

データと方法
以下の国々の生産(訳注:しょうさん、生きて生まれる、の意味、死産の反対)率の月ごとのデータをそれぞれの統計局に問い合わせた。西ドイツ、バイエルン、オーストリア、イタリア、クロアチア、ハンガリー、ポーランド、フィンランドである。キエフ市のデータは筆者が2001年にすでに、キエフ出身のGolubchikov氏より個人的に手に入れてあった。

生産数の傾向は、ポアソン回帰分析(統計パッケージR、関数glm() family=quasipoisson)で評価した。生産年間数は、その年の個々の月に対するダミー変数でモデル生成した。1987年2月の動きの大きさを突き止めるため、さらにダミー変数を用いた。

結果
表1に [1] で紹介した日本全体と福島県の2011年12月の生産率後退の結果が示されている。この両方のデータにおいて2011年12月の動きは著しい(日本全体:P=0.007、福島県:P=0.0001)。

表1:日本全体と福島県における2011年12月の出生率減少




福島県での生産数の時間的移行と出生数予測値からの逸脱は左側の図1に示す。



図1:福島県(左上)とキエフ市(右上)における生産数の経過と回帰ライン
下の図は観測された出生数と予想出生数の間の逸脱を示す(標準化残差)。水平の点線は予測範囲95%を示す。



調査されたヨーロッパ諸国とキエフ市における1987年2月の出生不足に関する結果を表2に示す。11.5%の出生率減少と、南バイエルン(オーバーバイエルン行政管区、ニーダーバイエルン行政管区、シュヴァーベン地方)が一番顕著(P=0.0009)である。南バイエルンは、ドイツの中でもチェルノブイリのフォールアウトが一番激しかった地方である。それに比べ被害が少なかった北バイエルンではこの動きはあまり目立たない(−5.2%、P=0.160)。著しい出生率減少を示したのがバイエルン(−8.6%、P=0.009)、イタリア(−6.8%、P=0.017)、クロアチア(−8.2%、P=0.007)、ポーランド(−4.6%、P=0.050)である。西ドイツ、オーストリア、ハンガリー、フィンランドでは結果は10%のレベルでのみ顕著である(P<0.10)。


表2:ヨーロッパ諸国/地方における出生率減少


出生率の減少が一番顕著なのがキエフ(図1、右側)であり、ここではこの傾向が2月だけでなく、1987年の最初の6ヶ月にわたって続いている。1987年1月から3月まで期間の出生数不足はことに著しい(−27.3%、P<0.0001、2484件出生が不足しており、そのうち817件が2月)。

図2に南バイエルン、ポーランド、クロアチアの生産数の残差を示す。比較のため、日本での2006年から2011年までの残差も示した。


図2:4カ国または地方で観測された出生数と予想出生数の間の逸脱(残差)、および予測範囲95%




論争
図2からわかるように、出生数の後退は日本でも南バイエルン、クロアチアでも1ヶ月に限定されている。ポーランドとキエフでのみ、1987年の1月から3月の期間にわたり続いている(4.9%、P=0.0004、7803件出生数が不足)。これは、出生数が、受精から間もなく流産が多く発生して起きた結果による後退だということを示唆している。

この調査結果から、流産が放射線被ばくによるものだと考えるのが妥当である:

・原子炉事故によるフォールアウト被害を受けた国または地方でこの傾向が見られる
・この傾向は原子炉事故発生とそれに伴う放射線被ばくからちょうど9ヵ月後に起きている
・この傾向は、放射線被ばく量が高ければ高いほど、顕著に見られる


堕胎が増加したのであれば、出生率の後退は1987年2月より前、または2011年12月より前の月々で見られたであろう。妊娠を自粛した結果であるのならば、2月より前の月々でそれがはっきり現れるであろう。しかし、実際にはそうではない。南バイエルンとクロアチアでは、1987年の1月にも、3月にも予測値からの著しい逸脱は見られない。それと同じことが日本の2011年11月や2012年1月に対しても当てはまる。だからこそ筆者は、原子炉事故発生後の初めの数週間の間に放射線被ばくを受けた結果、自然流産が多く発生したのだということが、この出生率後退を説明する最も確率の高い原因だと考える次第である。

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