2012年2月13日月曜日

3月11日以降の世界──ドイツから

ピープルズ・プラン研究所「季刊ピープルズ・プラン」55号(2011年9月20日)より

3月11日以来、世界観、人生観そして人生そのものが変わってしまったと自覚している人は、私だけではないだろう。地震・津波の災害の画像に始まり、それから想像を絶する原発事故がニュース、新聞、ネットで9千キロ離れたドイツに伝わってきてから、日に何度もいくつかのサイトをチェックし、「故郷はまだ存在しているか」「故郷で今なにが起き続けているか」を確認するのが私の日課になってしまった。

災害発生から2、3週間はドイツのマスコミは毎日、惨禍を伝える記事、写真、映像にあふれかえった。原発事故に対するドイツの大衆による拒否反応は、実際に事故が起きている日本での反応より確かにずっと速く、大きかったと言える。事故発生後、反原発デモが全国各地で大規模に行われ、現政権の原発推進派であったメルケル首相は、「原発に対するこれまでの考えは改めざるを得ない」と「脱原発撤回」を覆す政策を打ち出した。3月末に私の住むバーデン・ビュルテンベルグ州(ちなみにここはベンツ本社のあるシュツットガルトが首都の、58年もキリスト民主党(CDU)政権下にあった、保守層が集まる裕福な州で、ここの州選挙は連邦議会選挙のバロメータとされている)の州選挙で、原発推進派であった現州知事マップス(CDU)を破り、緑の党のクレッチマンが当選した。チェルノブイリ後、脱原発を基本政策として作られた政党で、最初はまったく対等な政治家としてみなされず、「ナイーブな若者たちの政治ごっこ」くらいにしか思われていなかった緑の党が、今やCDUをひるませるだけの政党に成長したのは、注目に値する。約25万人もの人間をデモに繰り出させるほどの脱原発を訴える市民の波は、こうして、2002年に当時の社(SPD)・緑連合が成立させた「原発からの撤退」を覆す「原発からの撤退からの撤退」法律を、去年強行議決した現在の連合政権に、取り消させるにいたった(*注1)。そしてとうとう2022年までにドイツ国内の全原発を停止する法律が可決された。これに関しては、去年覆された原発からの撤退法律がそのまま機能していればもっと早い時期での全原発停止が可能であったこと
に加え、実際に全停止は2017年までに可能であると、この法律を成立させる議決に賛成票を出すか出さないかで、SPD、緑の党内部でもずいぶんもめた様子だが、最終的には「テンポが遅いのは確かだが、細かい内容で揉めるよりとにかく原発停止に向ける法律を成立させることが先決」との現実主義が勝った。福島原発事故発生以来、実に4ヶ月以内に起きた事実である。

*注1 SPDと緑の党連合政権が、妥協はあったものの「脱原発」法律を2020年に成立させた。新しい原発の建設の禁止、既存の原発は、運転開始から平均32年しか操業してはいけないなどが決まり、その後、実際にいくつかの原発が操業を停止した。この脱原発法律が成立したときCDUは「政権を握り返したらこの法律を覆してやる」と言っていたが、2009年にCDUと自由民主党(FDP)連合が政権を握ると、早速その法律を覆す「原発撤退からの撤退」法律を去年強行議決した。これで、今にも操業を停止させられるはずだった古い原発二基がさらに八年操業を許され、そのほかも、平均で12年稼動年数延長が許された。その代わり、原子炉に新しい燃料棒が挿入されるごとに核燃料1グラムにつき145ユーロごとを払うことを義務付ける核燃料税が2011年1月付けで2016年までの予定で導入された。これにより古い原発の稼動年数延長の魅力を減らし、廃止になった原発の解体にかかる膨大なコストのために備えようという趣旨だ。しかし原発撤退が決定し稼動延長が不可能になったため、主電気会社はさっそくこの税金の支払いを不当として国に訴訟を起こしている。

「ジャーマン・アングスト(ドイツ人の不安)」

事故発生から4週間もすると、福島の様子はほとんどメディアから姿を消し、数々の国内外のニュースが見出しを埋め、恐ろしい津波の光景も、白い煙とともに吹き飛んだ福島第一の映像も人々の意識から遠のいた。ニュース、新聞には次々とリビアへの介入、オサマビンラデンの死、中国芸術家、艾未未の逮捕、IMF総裁ストロス・カーンの暴行疑惑逮捕、EHEC大腸菌感染症、ギリシャの経済破綻、ユーロの安定問題、その他国内での大小さまざまなスキャンダルや事件がめまぐるしく日々飛び交い、大衆の記憶はますます短くなっている。反原発意識の高まったドイツで、「集団ヒステリー」だと嘆く意見も少なくなかった。報道の仕方に目に余るものがあったことは確かで、悲惨な災害の映像をブロックバスター級の見世物のように提供したテレビ番組や、日本人の災害直後の「落ち着き払った」反応、パニックに陥らぬ国民性の「謎」をまことしやかに解説する記事、日本の情報隠蔽・操作に対して軽蔑的批判をする意見、日本の危機管理の甘さをドイツと比較する論説など、ありとあらゆるものがあった。「ジャーマン・アングスト」(英語でも定着している言葉で、ドイツ人の心配性とでも呼ぶか)を危ぶむ声が、あらゆる政・経済界、EU諸国から出た。彼らは、決断を焦って脱原発を早期に強行すれば電力不足だけでなく、経済的にあらゆる障害が出る、(ドイツはロシアからガスを輸入しているので)ロシアへの依存がもっと増加し、EUの安定に障害が生じる、二酸化炭素削減目標が達成できない、などまことしやかな議論で「半分ヒステリー状態に陥って冷静な判断を誤り、経済に不利な決断を招く」ドイツ人の性急さをたしなめた。心配性、ヒステリー、パニックなどの心理用語を安易に持ち出して「性急に脱原発を強行するのは経済を無視した素人の短絡的思考」と、子供を言いたしなめるようなお偉方の意見は、まったく不愉快極まりなかった。

二重規範(ダブルモラル)

それも、ドイツは「原発撤退」を掲げ、クリーンなイメージを売ろうとしているが、その陰で、実は旧型の原発をブラジルのリオデジャネイロ南の海沿いに建設しようとしているからである。ブラジル唯一の原発会社が建設した原発はすでにアングラ1号と2号があるが、1号は失敗が重なって1994年にたった14日間操業しただけで停止、2号はドイツの技術(シーメンスとAEG)で建設され、25年もの計画・建設期間を経て、2000年に操業を開始した。そしてアングラ3号だが、これは1975年に当時のブラジル軍事政権とドイツ政府の間で結ばれた協定に基づき、1985年にシーメンスが技術を7億5千万ドルで売った。ブラジルの原子力計画が財政問題と環境に対する懸念から行き詰まり、暗礁に乗り上げていたが、2007年にブラジル政府が再び建設再開を決定、2010年に建設が再開された。今回仕事を受注したのは、日本でもお馴染みのフランスの原子力産業企業アレヴァ・グループ傘下で、ドイツとのジョイントベンチャーであるアレヴァ・NPという子会社だ。問題は、この膨大な技術と工事作業のブラジルへの輸出には当然リスクが伴うため、そのリスクに応じた輸出用クレジット保証が必要となる。ドイツには、輸出を支えるために政府がリスクの多い輸出に対し与える「ヘルメス・カバー」と呼ばれる貿易保証があるが、現在のCDU・FDP連合政権は2010年にこのアングラ3号建設に対し総額13億ユーロのクレジット保証を与えることを決めてしまったのだ。

このアングラ3号ではまたシーメンスの技術が投入されるが、計画されている原発は、今のドイツでは運転認可が下りるはずのない安全基準の、70年代に作られた設計図を基にした旧モデルだという。ドイツとブラジルで合計12万5千人がドイツ国家による核技術輸出の融資に反対署名したが(私も含め)、発起グループ・カンパクトによれば、この署名リストは受け取ってもらえなかったそうだ。わずかな希望は、この13億ユーロのクレジット保証の基本承諾を今年8月に更新しなければならないが、原発建設の具体的な資金調達の見通しが立たなければ最終的な承諾は行われないことになっているので、この基本承諾を解消する可能性がまだあるということだ。国内では「原発撤退」を謳いながら、安全基準が低く、独立した監視機構もないブラジルの、しかも地震や地すべりの起こりやすい南部海岸沿いに、旧型原発建設に融資するドイツ政府のダブルモラルを糾弾するNGO団体などは、国家が保証するクレジットでは「核輸出」に対する除外条件を導入することが必要と呼びかけ、最終的承諾が行われないことに最後の望みを寄せている。2009年から現政権は、中国やロシアなどに建設予定の原発に対し、なんと11ものクレジット保証をすでに承認している。

放射性廃棄物最終処分場問題

2009年末には地球上30カ国で437基の原発が稼動し、14カ国で52基の新原発が建設中という統計がある。30カ国で原発が稼動しているというのに、核廃棄物最終処分場はまだ世界のどこにもない。フィンランドが2012年から100年間操業の予定でオルキルオト島のオンカロに最終処分場建設を始め、スウェーデンでも最終処分場をバルト海に面したフォルスマルクに最終処分場を決定し、2020年をめどに試験操業を開始すべく、現在建設中だ。ここでは外側が銅製、内側が鋳鉄製の二重構造キャニスターに封じ込めた高レベル廃棄物を深さ500メートルの結晶質岩に埋設する、というのだが、放射能がほぼ失われるまでなんと約10万年保管し続けなければならないという。たかだか数千年の歴史を持つ人類が、どうやって万年単位の時間で恐ろしい放射能のごみの管理をしていくつもりなのか、まともな神経で考えれば、誇大妄想の迷いごとでしかないのは明白だが、実際行き場のないまま、大量の放射能廃棄物を日々増やしているのが事実だ。

ドイツでは、2040年までに約3万立方メートルの高レベル放射性廃棄物が見積もられているそうだ。ニーダーザクセン州ゴアレーベン(岩塩坑)が候補として、1980年代から適性調査が行われてきたが、氷結・再開を繰り返し、進行していない。そのほか、アッセⅡという岩塩の元採掘坑が放射性廃棄物貯蔵場となっているが、このかつての坑道には60年代から約2千万リットルもの低・中レベル核廃棄物が無防備・無秩序に山積みに投棄されてきた。坑道の老廃が進み崩落の心配がでてきたためと、放射性物質を含む廃液が流出しているとの報告や、水没の可能性すらでてきて、ここにある12万以上の錆び始めたドラム缶を、非発熱性廃棄物地層処分場のコンラッドに移送しなければならなくなった。移送が可能かも問題だが、さらに難点は、このアッセには、どの程度の放射能レベルの、どんな内容の廃棄物がどこに蓄積されているか、明確な資料がどうやらないらしいことだ。低レベル廃棄物と書かれたドラム缶に実は中レベル廃棄物が入っていただの、まぜこぜに積み込まれていただの、めちゃくちゃで、しかもプルトニウム保管量で大幅な記録間違いが見つかっている。28キロあるプルトニウムを、たった9.6キロだとしていたのだから、かなり怪しい。情報操作・不透明はどうやら日本だけでなく、どこの原子村にも共通してあるようだ。

三猿とぺトラ・ケリー

核に関する話は、なにを聞いても恐ろしく、そんなものに手を染めては絶対にいけない、と普通の神経なら思うはずだが、普通の神経は欲に目が眩むと簡単に麻痺するのもどこでも同じらしい。自分の身さえ安全で、直接被害が降りかからなければ、人間はこうも鈍感だ。直接というのは実に近視眼的な判断で、間接に、長期にわたり、迂回を経て影響は地球上のどの生命にも遅かれ早かれ回ってくる。大気、土壌、地下水汚染はすぐ狭い島国を覆うし、海は地球全体につながっている。チェルノブイリを25年経て、3月11日以来日本で起きていることは想像を絶する悲劇なのに、東電を始め、責任当事者は市民の命より「国益」「会社」「利権確保」の方が大切なことを隠しもしないことが、これでいやというほど明白になった。あれほど市民の安全を無視し、子供の健康、被害者の生活を見殺しにし、おびただしい被害があからさまになっても、人間性のないロボットのような無表情な欲の塊ばかりの人間たちが日本の運命を動かし、どんどん破滅へ追いやっている。それを呆然と見ているしかないのは、身を切られるほどの苦痛だ。どこからなにをすれば、救いがあるのかすらわからない。どうしてこんなことになってしまったのか。

ドイツに住んでいて、周囲で福島の事故が話題になり「ドイツが脱原発を達成したことは誇りだ」と、暗に「これだけの事故が起きてもまだ、市民の意識が変わっていない」日本を軽蔑するような意見を聞くと、私はあまりの胸の痛さに席を立ってしまう。確かに今の日本を間違っても誇りになどできないし、私だって憤っているが、ドイツ人と一緒になって日本人の悪口を言う気には絶対になれないし、かといってお粗末な故郷を庇うこともできない。世界と共に、私の人生も3月11日を境に変わってしまったのだ。しかし、これはもはや日本だけの問題ではない。人類は地球という一つのボートに乗っているのだ。三猿は、いやなものには耳を貸さず、目を開かず、損なことは言わずにおくことではない。ガンディーは常に三猿の像を身に付け「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えていたそうで、私はそれを政治家や東電のむかつく話を聞くたび思い出す。そういえば、参議院行政監視委員会に小出裕章氏が呼ばれた時、ガンディーの7つの社会的罪悪を引用していたが、これはドイツの緑の党創立者の一人、今は亡きぺトラ・ケリーが1988年に英国ガンディー財団で「核の権威が迫る現在」をテーマに講演したとき、同じく引用していた。ケリーは熱心な平和活動家で、1979年に緑の党が旗揚げしてから、その中心的なメンバーの一人として活躍したが、彼女にとって平和政策、人権問題、少数派への配慮は、環境問題と同じように重要なテーマだった。あらゆる生命の共存を願えば、環境問題、平和、人権は別々のテーマではない。国益や経済性などという言葉に隠された、あらゆる生命が生きる環境の破壊、人権の侵害、暴力の行使を人間は地球上のあらゆる場所で行っている。それをはっきり見極める目、聞き分ける耳を育て、自分が納得できることしか言行しない勇気と力が今こそ一人一人に、備わることを、私は切に願う。

(梶川ゆう)

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